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中村哲メモリアルミュージアム
Tetsu Nakamura Memorial Archives

2021, 福岡市

1. はじめに

 長らくアフガニスタンとパキスタンで医療活動や緑の大地計画と呼ばれる灌漑事業等に尽力した中村哲医師は、2019年12月4日アフガニスタン・ジャララバードで凶弾に倒れた。
 「中村哲医師メモリアル・アーカイブ」は、中村哲医師の志やメッセージを次世代に伝えるため、ペシャワール会1)等関係者の協力を得て、2021年3月に九州大学中央図書館4階きゅうとコモンズ(ラーニングコモンズ)内に設置され公開されている。この「中村哲医師メモリアル・アーカイブ」は、著作のデジタル化保存と公開を目的とした「著述アーカイブ」と「展示空間」で構成される。

2. 展示空間
 「展示空間」は、「繋ぐこと」を大きなテーマとしている。ひとつの小さな空間体験により、中村哲医師が描こうとした世界を感じ、繋がっていくことを意図したからである。また、その世界を「屏風絵」のように表現しようと試みている。
 「展示空間」ではこの大きなテーマのもと、「一人称」のメッセージ(中村哲医師自らの「言葉」と「視点」)、「拡がり」へのタッチポイント(共感を呼び起こす世界への拡がりへの出発点)、 「探求」へのエントランス(「医」「水」「農」をキーワードとする知的世界への探求の入口)、という3つのコンセプトを基本とし計画を進めた。
 小さな空間体験は、メッセージ・スクリーン、映像、音、グラフィックス、照明、著書と展示台、検索用タブレットとそれらの相互作用で構成されている。

3. 屏風絵  メッセージ・スクリーンとして、浮遊し透過しながら拡がりをもつ「屏風絵」を設置した(写真1、2、4、5)。
 緩やかな曲率の10mの繊細な「屏風絵」に包まれることで、中村哲医師が捉えようとした世界の、拡がり、深さ、連なり、奥行きなどを捉えようとしている。「屏風絵」は極薄半透明ポリエステル材を使用し、プロジェクター投射による映像を浮かべている。また、中村哲医師自らが技術指導した癩病患者用サンダルがサインとして床面にデザインされたポイントに立つと、小型超指向性スピーカーから中村哲医師が語りかける。  6台の書籍展示台を配置しているが、自然に著書を手に取り向き合うことができるように、天板高さや形状、面仕上げを検討し、軽やかなメッセージ・スクリーンと調和するように仕上げている。

4. 映像  「屏風絵」としてのメッセージ・スクリーンには、日本電波ニュース社が長期に渡り現地記録してきた映像資料と中村哲医師が遺した言葉で紡いだ約5分間の映像と音が流れる。映像制作にあたっては、「人間は愛するに足る。真心は信ずるに足る」「100の診療所より1本の用水路」という中村哲医師の自らの言葉を手がかりとしている。
 冒頭、中村哲医師の挑戦が始まったヒンズークシュ山脈を描き、ヒンズークシュ山脈最高峰ティリチミール登山隊の医療チームへの同行、医療の行き届かない辺境地域への巡回診療、診療所の設置、そして拠点病院の建設など医療体制充実へ奔走した足跡を映し出す。
 さらに日照りや大干ばつを目の当たりにして、医療だけでは解決できない現状、荒れた地に人々の生活を取り戻すための井戸の再生や無謀ともいわれた用水路の建設を実現した経緯を辿っている。現在、干上がった荒地は緑豊かな大地へと変貌し、建設した用水路は65万人の生活を支えるに至っている。現地の多くの人々も描写され、その緑の大地の風景でエンディングを迎える。「医療」から「井戸」、そして「用水路」。それらは違う方向のようであるが、「人を助ける」という中村哲医師の「大義」のもとで、活動と人々との関係とが用水路のように一つの線として繋がっていく様子を、実写と手描きイラストを用いて映像表現している。

5. ガラススクリーン  展示空間と閲覧室の間の大きなガラスは、閲覧室からの視認性が高く、来訪者の視線を惹くメディアとなる。そこで、遠方を見つめる中村哲医師の横顔とダラエ・ヌールの山々を配し、中村哲医師がアフガニスタンで見た景色や思い描いた世界へのタッチポイントとした。また、著書から引用した6つの文を配置している。これらは九州大学の複数の学部学生が数ヶ月にわたる読書会を通して、議論を重ねて選んだものである。雄大な山脈を背景に、中村哲医師が大きな視点で語りかけるかのように、縦組みでゆったりとレイアウトしている。

 展示空間内部の方立ガラスにも、九州大学の学生が選んだ7つの文を配置している。これらは対照的に、中村哲医師の迷いや自らを奮い立たせようとする内面的な文を長めに引用し、来訪者が近づいて味わえるように視点高さに合わせ小フォントで配置した。


6. 円柱年表
 展示空間内の既存角柱をモニュメンタルな円柱へ変更し、中村哲医師の生誕から死までの出来事を、写真とともに螺旋状に配して一連の物語として生涯をたどれるようにしている。円柱は古代より物語を後世に伝えるメディアとしての役割を担ってきたことも参照されよう。
 円柱上部には「中村哲医師メモリアル・アーカイブ」ロゴタイプを配し、来訪者の視線を瞬時に捉え誘導することを狙っている。円柱を巡りながら視線を下から上へと滑らせ中村哲医師の生涯を体感する(写真3)。なお、円柱の年表と地図はアーカイブと合わせて制作したリーフレット(A2)にも展開し、アーカイブを離れても中村哲医師の軌跡を容易に参照できるグラフィックとした。


7. おわりに  わたしたちは、自らの意志で境界のない世界をさまよい、自らの身体で探索・発見し、そして人々とともに新しい世界をつくっていく。このメモリアルアーカイブは、中村哲医師の単なる業績紹介のためではない。ふつうでは到底とらえきれない、そして見えないことも意識する、その世界へと「繋ぐ空間」である。この小さな空間体験が、学生の将来の財産となることを期待したい。


謝辞  本計画にご協力頂いた、ペシャワール会、日本電波ニュース社、渡邊公一郎・前九州大学副学長、九州大学中央図書館など、すべての関係の皆様に心より感謝致します。